初めてこの地に立ったとき、壮大なパノラマを一望するのに眼鏡のフレームが邪魔だったのか、赤星四郎はサングラスをひたいに押し上げて正面の富士を凝視、やがて視線をめぐらせて樹海の彼方に煌めく駿河湾に目を留めると、傍らに立つ佐藤弘一郎にこう言った。
「おもしろい地形だね。御殿場にしては珍らしく海も見えるじゃないか。うん、ここの斜面はゴルファーに打ってつけの試験会場になるぞ」
赤星は、泥をひとつかみ握って土質を調べながら言った。
「たいていのゴルファーは、自分が出向いて行って、そこがどんなコースか試してやろうと考えるものだ。ところが大間違い、それは傲慢極まりない話、実はコースがゴルファー一人ずつの人格と力量を試そうと待ち構えているのさ」
これは、かねてからの赤星の持論だった。ホールの途中にあえてペナル(科罰)を設けずとも、極力自然のままの状態を保つことで正統のゴルフが愉しめる、即ち、それが発祥の精神なのだと言い続けた。伝統を誇る程ヶ谷カントリー倶楽部も数多い彼の設計コースの一つだが、完成後の十八ホールを下見した会員の一人が、年配者にはアップダウンがきつすぎると文句をつけた。すると、かつて仲間たちが「ゴルフの鬼の赤星四郎」に由来して呼んだ愛称「赤鬼」、烈火のごとく怒った。
「きみは、このゲームの最も優れた特質も理解しないで、ただ汲々とスコアだけを求めるのか。なんと貧相な!」
吐き捨てるように言った。さらに言葉を継いで、
「アンジュレーション(起伏)こそ、このゲームの生命。もしコースが湖面のように平坦続きならば、とうにゴルフは滅びていただろう。心からアンジュレーションを愉しまなくて、何がゴルフだ」
こっぴどく叱られて、くだんの会員は「赤鬼」以上に顔を赤らめて退散したそうだ。そのとき同席していたのが後に副総理まで務めたゴルフ狂、石井光次郎だった。